過去の記録
2005年6月22日今日は昼間暇だったので、過去の中国名人戦鳥取県代表の顔ぶれを調べてみた。中国名人戦が3人代表制(5県×3人+前年3番勝負敗者)から1人代表制(5人+前年3番勝負敗者。数年前より前年3番勝負敗者の招待がなくなり、代わりに広島が2人代表に)になったのは昭和61年。以降の歴代鳥取県代表を列記すると以下の通り(敬称略)。
松田、山根、松田、平井、松田、平井(=挑戦者)、松田・平井(前年挑戦者)、松田、森田、森田、松田、松田、松田、森田、浜田、山住、山内、平野、森田、森田
平成3年の平井氏の挑戦が光輝く。代表回数が最も多いのは松田氏で8回。3人代表時代を合わせると20回近いのだが、1度も挑戦がなく、ご本人曰く「広島は方角が悪い」。
次に多いのは5回の私。平成6年以降に限れば1番多い。私にとって中国名人戦の「県大会は」相性のいい大会と言える。ただ私の場合も広島は方角が悪い?!
松田、山根、松田、平井、松田、平井(=挑戦者)、松田・平井(前年挑戦者)、松田、森田、森田、松田、松田、松田、森田、浜田、山住、山内、平野、森田、森田
平成3年の平井氏の挑戦が光輝く。代表回数が最も多いのは松田氏で8回。3人代表時代を合わせると20回近いのだが、1度も挑戦がなく、ご本人曰く「広島は方角が悪い」。
次に多いのは5回の私。平成6年以降に限れば1番多い。私にとって中国名人戦の「県大会は」相性のいい大会と言える。ただ私の場合も広島は方角が悪い?!
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