鳥大将棋部史4
2007年12月19日昭和59年、宇仁菅が入部。これで山本氏・私・桐谷・宮地・山口・原田・宇仁菅と、戦力として計算できるメンバーが7人そろった。そして秋の中四で7年ぶりにA級復帰。その余勢で60年春には鳥大将棋部史上初の団体戦A級優勝を果たした。この当時を第3期黄金時代と呼んでいる。
しかしこの後暗雲が立ち込める。まず原田が居なくなり、翌年山本氏が卒業、そして宇仁菅まで家庭の事情で大学を去っていった。61年春は4年生の欠場もあって、たった5人で出場、B1に降級、さらに秋も降級してB2まで落ちてしまった。
62年、私・桐谷・宮地・山口などがそろって抜け、残った部員は何と柴原1人(米子の医学部部員を除く)に。この年、新入部員が少なければ廃部になっていたところだった。 以下、続く
しかしこの後暗雲が立ち込める。まず原田が居なくなり、翌年山本氏が卒業、そして宇仁菅まで家庭の事情で大学を去っていった。61年春は4年生の欠場もあって、たった5人で出場、B1に降級、さらに秋も降級してB2まで落ちてしまった。
62年、私・桐谷・宮地・山口などがそろって抜け、残った部員は何と柴原1人(米子の医学部部員を除く)に。この年、新入部員が少なければ廃部になっていたところだった。 以下、続く
コメント