鳥大将棋部史7
2008年1月11日昨年末に始めた連載のことをすっかり忘れていた。というわけで再開。
平成13年、鳥大にとって初の王座戦はなぜか全日程冬休み直前の平日。この信じられない日程のため、高野が3日目しか出られないことに。それでも上から順に野口・美澤・後藤・蔵元・笹尾・三潴・日野と、何とか7人そろえたはずだった。ところが直前の試験の成績が悪かった野口が、再試験のため急に初日出られなくなり、急きょ代わりを探すも誰もなし。このため、初日は6人で戦うはめになった。
初戦は東大。1つ勝てれば満足の相手である。大将の美澤が倉川君(十傑戦3位)に勝って1−6負け。相手が相手だけに好スタートである。
2戦目は立命。ここも1つ勝てれば、と思ったが、0−7。ただし笹尾は惜しかった。相手(時の関西学生名人の小林君)もあきらめて時間待ち(早く投げると味方の士気を下げるので、団体戦では負けと分かっても時間いっぱい投げずに待つことはよくある)していたのだが。24の4級(当時)では仕方ないか。
以下、続く
平成13年、鳥大にとって初の王座戦はなぜか全日程冬休み直前の平日。この信じられない日程のため、高野が3日目しか出られないことに。それでも上から順に野口・美澤・後藤・蔵元・笹尾・三潴・日野と、何とか7人そろえたはずだった。ところが直前の試験の成績が悪かった野口が、再試験のため急に初日出られなくなり、急きょ代わりを探すも誰もなし。このため、初日は6人で戦うはめになった。
初戦は東大。1つ勝てれば満足の相手である。大将の美澤が倉川君(十傑戦3位)に勝って1−6負け。相手が相手だけに好スタートである。
2戦目は立命。ここも1つ勝てれば、と思ったが、0−7。ただし笹尾は惜しかった。相手(時の関西学生名人の小林君)もあきらめて時間待ち(早く投げると味方の士気を下げるので、団体戦では負けと分かっても時間いっぱい投げずに待つことはよくある)していたのだが。24の4級(当時)では仕方ないか。
以下、続く
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