48

2011年3月9日 日常
48といってもAKBとかじゃない。今日は3月9日、私の48回目の誕生日だった。
干支が4週したことになる。あと1週すると60歳(数え年61歳)、還暦だ。いつの間にかそんな年が近付いてきた。
この4週目の12年で、私を取り巻く環境も大きく変わった。平成13年、湖山将棋センターの入っている建物が改築され、その間3カ月休業。その時初めてPCを購入、インターネットが利用できるようになった。早速将棋倶楽部24を始めたが、あれからもうじき10年になる。その間、最高Rは2012から2321へ309点アップ。この「師範代の日記」を書き始めたのもその直後だ。そしてその年の秋の中四で鳥大が団体戦A級優勝、初の王座戦出場。その翌年のキリンビバレッジカップ学生選手権団体戦で6位入賞。あの頃の鳥大は強かった。
日本海新聞と大阪日日新聞の囲碁・将棋欄制作を行うようになったのは平成15年。こちらは8年になる。
12年前、我が家は4人家族だったが、平成15年に伯母、21年に父が亡くなった。母も脳梗塞で半身不随になったため、21年から特別養護老人ホームで暮らしており、この1年半はずっと1人暮らし。その分好き勝手に暮らしてはいるが。
今日は母に会いに行き、「3月9日は何の日か覚えている?」と聞いてみたが、認知症が進んだ母はすっかり忘れていた。唯一の肉親すら覚えてくれてないのは寂しいと思っていたら、将棋部の後輩の女の子(1人しか居ないが)からお祝いメールが届いた。とてもうれしかった。ありがとう。野郎の後輩は70人以上いるけど、気が利くのはやっぱり女の子だね!

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