中四史5

2014年2月12日 連載
1973年、第9回大会は岡山商科大が欠場し、9校が参加。
団体戦は愛媛大と高知大が2チーム参加で、11チームとなった。
この大会から個人戦に2勝通過2敗失格の予選が採用された関係で、日程の都合から団体戦を2リーグに分けることになり、この期に限り王位戦の紅白リーグのようにAリーグとBリーグ(A級とB級ではなく、対等の関係)に分け、1・2位の4校で1~4位を決めるトーナメント、3・4位の4校で5~8位を決めるトーナメント、5位同士で9位決定戦を、それぞれ戦った。
その結果、優勝は高知大A、準優勝は広島大となった。鳥大は5位だった。
個人戦(64人参加)は愛媛大の岡田氏が2回目の優勝、準優勝は広島大の玉井氏だった。鳥大勢は岡本氏が4位、北村氏がベスト8だった。
第10回大会は岡山大が復帰して11校が参加。
団体戦は前回の成績によりA級5校とB級6校に分かれての戦いとなった。また、前回まで認められていた1校2チーム参加はできなくなった。
優勝は広島大(初)、準優勝は愛媛大だった。この年に限り春の優勝校と秋の優勝校とで王座戦代表決定戦が行われ、広島大が勝った。鳥大はA級5位で降級となった。
個人戦は予選採用の効果か、過去最高の80人が参加。優勝は広島修道大の田村氏、準優勝は広島大の玉井氏だった。鳥大勢は藤原氏(故人)が3位、岡本氏が4位だった。鳥大勢がベスト4に2人同時に入ったのは、これまでのところではこの1回だけだ。

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