中四史12

2014年2月25日 連載
1981年、私が鳥大に入学した年である。これ以降は私が直接知っている話となる。
第25回大会は16校参加。団体戦A級優勝は広島大で3大会連続通算8回目の優勝。この広大の3連覇の後、2連覇すらない状況が7年も続くことになる。準優勝は愛媛大。鳥大はB1級4位だった。
個人戦(157人参加)は広島工業大1年の田尻氏がいきなり優勝、準優勝は島根大の大多和氏。
第26回大会は近大呉が欠場し15校参加。団体戦A級は愛媛大が優勝、準優勝は広島大。鳥大はB1級4位。
個人戦(152人参加)は田尻氏が2連覇、準優勝は島根大の伊藤氏だった。鳥大勢は浜本氏がベスト8に入った。
ここまでで松山開催は5回(第3・7・13・20・26回)あるが、その全てで地元の愛媛大が優勝している。だが次の松山開催となる第29回でこの記録はストップすることになる。その時A級に居なかったためである。B1級優勝も優勝には違いないと言えなくもないが。
現在の中四は、春は広島・岡山交互開催、秋はそれ以外の県の持ち回りとなっているが、昭和期は幹事会における話し合いで決められていた。県単位ではなく、加盟校単位だったから、加盟校の多い県が開催地になることが多かった。昭和期(第40回まで)の開催地は岡山12、広島11、松山7、松江4、鳥取3、高知2、山口1となっている。初の高松開催は1993年春、初の徳島開催は2000年秋のことだ。

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