部史13

2014年8月20日 連載
96年、美澤・加藤入学。31代部長は佐々木。第55回中四、A級6位で降級。しかし個人戦で佐々木が4位となり、鳥大からは72年の北村氏以来、実に24年ぶりの学生名人戦を果たした。そしえこれがきっかけとなり、この後しばらく代表ラッシュとなる。第56回中四、B1級優勝ですぐにA級復帰。
97年、笹尾・倉信入学。32代部長は西元。第57回中四、A級4位。個人戦、高野が3位となり学生名人戦出場。美澤もベスト8。第58回中四、A級5位。個人戦、美澤が4位。
98年、後藤(浩)・田中(嘉)入学。33代部長は美澤。第59回中四、高野が準優勝して、2年連続2回目の学生名人戦出場。蔵元もベスト8。第60回中四、A級4位。
1970年の鳥大初参加から95年までの26年間で、学生名人戦出場は北村氏の1回のみだったのに、96年から2001年まで6年連続で学生名人戦出場を果たすことになる。なぜこうなったのか? 高野が書いたエッセイの中で面白いことを言っている。「佐々木ができるなら俺にもできるだろう」という雰囲気が生まれた、と。ずいぶんと佐々木を馬鹿にした話だが、佐々木の中四通算成績は9回出場で団体戦17勝25敗と8つも負け越し、個人戦は22勝19敗と一応勝ち越しだが、9回出場で19敗というのは非常に珍しい成績だ。通常1回の個人戦では2敗までしかできないので、18敗なら誰でもできるが、19敗目は3位決定戦で負けないといけないのだ。しかしベスト4まで勝ち残るほどの実力を持つ者が9回参加して1度も予選2連勝がないというのはおかしな話だ。そんな佐々木がベスト4になったことで、「それなら自分も」と思う者が出てきたとしても不思議はないというわけだ。

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