部史16

2014年8月26日 連載
02年、柳瀬(佳)・辰巳・山根(知)・茂原・岩田入学。37代部長は金田。第67回中四、A級3位。第68回中四、A級4位。
03年、この学年は住友・赤澤などが入ったが、のちに全員辞めた(後述)。38代部長は島本(後に退部)。第69回中四、A級3位。第70回中四、A級5位。個人戦、高野が3位。この大会が高野にとって最後の中四となった。12年間(前述のように1年の時は春秋ともに不参加だったので実質は11年)で21回出場、団体戦54勝41敗、個人戦60勝29敗。総合114勝70敗。総対局数は実に184局で、中四歴代1位である。
04年、この年も鏡味が居たがのちに退部。2年連続で1人も残らなかったのは、鳥大将棋部史上初だ。39代部長は柳瀬。第71回中四、団体A級5位。第72回中四、団体A級6位で降級。個人戦、住友がベスト8。この大会の後、40代部長になった住友が突然退部。急きょ赤澤が41代部長となった。しかしその赤澤も年度変わりに大学から居なくなってしまった。住友は個人戦でベスト8入りしたし、赤澤も団体戦で佐々部君(後に中四名人)に勝った実力者だったのに、その2人が抜けたのは鳥大にとって大ダメージだった。部員数も02年をピークに減少を続け、06年には危機的状況を迎えることになる。

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