部史18

2014年8月28日 連載
08年、名島・中山・宮脇・依藤入学。44代部長は中原。第79回中四、B級3位。第80回中四、B1級3位。個人戦、石田がベスト8。石田は6年居たので、最大12回参加できたはずだが、実際には6回しか参加せず、個人戦はわずか2回のみの参加で、この大会以降は団体戦にしか出場しなかった。彼がもっとたくさん参加していたら、美澤以来となる学生名人戦出場も夢ではなかったのに残念だ。
09年、吉尾・畠中・國田・黒川さん・藤田入学。45代部長は柳瀬(昌)。第81回中四、B級4位。第82回中四、この大会には鳥大将棋部史上初めて女子部員である黒川さんが参加した。これで士気が上がったからか、B1級優勝で4年半ぶりにA級復帰。
10年、國田と黒川さんが米子に移り、後藤とともに医学部将棋部を立ち上げた。この年から医学科の学生は入学時から米子となり、湖山に吹上、米子に金谷入学。46代部長は名島。第83回中四、A級4位。第84回中四、A級6位で降級。この大会の直後に中原が急死した。現役の部員が亡くなったのは鳥大将棋部史上初めてのことだった(最後であってほしい)。葬儀には都合が悪かった1人を除き、湖山の部員がほぼ全員出席。中原の亡骸の前で春の大会でのA級復帰を誓った。

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